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東京高等裁判所 昭和56年(う)381号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮一〇月に処する。

理由

事実誤認の主張について

所論は、要するに、被告人の運転する大型貨物自動車が左折を開始した後は、すでに左斜前方を進行していた阿部清〓運転の自転車(以下阿部の自転車と言う。)も左折してそのまま左方江北方面に進行すると信ずべき情況にあり、被告人車の進路上に進出してくることは予想できないところであつたから、被告人には、さらに阿部の自転車の動静を注視する義務や被告人車の死角の関係からその動静を確認できなくなつた場合には横断歩道直前で徐行又は一時停止してその安全を確認すべき注意義務があるとはいえないのに、これらの注意義務があることを前提として被告人の過失を認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある、というのである。

そこで、原審記録を精査して検討すると、証拠によれば、本件事故現場は、新田方面から西新井橋方面に通ずる幅員約9.3メートルの道路と、豊島橋方面から江北方面に通ずる車道幅員約一一メートルの道路とが、いわゆる角切りされた状態で交わる交差点であつて、被告人は大型貨物自動車を運転して新田方面から進行して来て江北方面に向け時速約一〇キロメートルで左折中、阿部の自転車が交差点出口に設けられた横断歩道を青色信号に従い左から右に横断して来るのに気付かず、自車左前部を同車に衝突させて同人を転倒させたうえ、左前輪で轢過して傷害を負わせ死亡するに至らせたこと、被告人は、同交差点に進入前赤色信号のため前車に続いて停止した際、左前方約13.9メートルの交差点入口付近に同じく信号待ちのため停止中の阿部の自転車を認めたが、やがて青色信号に従つて発車し、交差点に進入したころは、阿部の自転車も交差点左側端に添つて左折進行し、交差点出口に設けられた横断歩道付近まで進んでいたので同車はそのまま江北方面に進行するものと考え、以後その動静を注視せず、安全を確認しないで従前の速度のまま進行し、前記のとうに事故の発生をみるに至つたことが認められる。ところで道交法一二条一項は横断歩道がある場所附近での横断歩道による歩行者の横断義務を、また、同法六三条の六は自転車横断帯がある場所附近での自転車横断帯による自転車の横断義務をそれぞれ定めているので、横断者が右の義務を守り、かつ青色信号に従つて横断する限り、接近して来る車輛に対し優先権が認められることになるのであるが(道交法三八条一項)、本件のように附近に自転車横断帯がない場所で自転車を運転したまま道路横断のため横断歩道を進行することについては、これを容認又は禁止する明文の規定は置かれていないのであるから、本件被害者としては横断歩道を横断するにあたつては自転車から降りてこれを押して歩いて渡るのでない限り、接近する車輛に対し道交法上当然に優先権を主張できる立場にはないわけであり、従つて、自転車を運転したままの速度で横断歩道を横断していた被害者にも落度があつたことは否定できないところであり、被害者としては接近して来る被告人車に対して十分な配慮を欠いたうらみがあるといわなければならな判旨い。しかしながら自転車に乗つて交差点を左折して来た者が自転車を運転したまま青色信号に従つて横断歩道を横断することは日常しばしば行われているところであつて、この場合が、信号を守り正しい横断の仕方に従つて自転車から降りてこれを押して横断歩道上を横断する場合や横断歩道の側端に寄つて道路を左から右に横切つて自転車を運転したまま通行する場合に比べて、横断歩道に接近する車輛にとつて特段に横断者の発見に困難を来すわけのものではないのであるから、自転車の運転者としては右のいずれの場合においても、事故の発生を未然に防ぐためには、ひとしく横断者の動静に注意をはらうべきことは当然であるのみならず、自転車の進路についてもどの方向に進行するかはにわかに速断することは許されないのであるから、被告人としては、阿部の自転車が同交差点の左側端に添いその出口に設けられた横断歩道附近まで進行したからといつて、そのまま左折進行を続けて江北方面に進んで行くものと軽信することなく、同所横断歩道を信号に従い左から右に横断に転ずる場合のあることをも予測して、その動静を注視するとともに、自車の死角の関係からその姿を視認できなくなつた場合には右横断歩道の直前で徐行又は一時停止して右自転車の安全を確認すべき注意義務があるものといわなければならない。しかるに、被告人は右注意義務を怠り本件結果を発生させたのであるから、原判決が被告人の過失につき認定判示するところはこれを肯認することができる。所論は被告人に過失責任がないとする理由を種々述べるが、これを逐次仔細に検討しても、前示したところに徴し、被害者が被告人車の動静やウインカーの点滅に気付かなかつたとか、信頼の原則が適用されるべき場合であるとかいうことを理由にして被告人の過失責任を否定することはできない。論旨は理由がない。〈以下、省略〉

(小松正富 寺澤榮 苦田文一)

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